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福島県いわき市平字紺屋町45 紺屋町ビル3階
TEL : 0246-38-3152
FAX : 0246-38-3153


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黒石あみ・小松拓也 写真展「被災地への目線 −震災から五年−」

 2016年3月6日(日)~3月21日(月/祝)(展示は終了しています)
 開催場所 コール・ピット(いわき)
 開館時間 9:30~18:00 休館日 毎週水曜  

黒石あみ・小松拓也 写真展「被災地への目線 −震災から五年−」


「今現在、東京に住む若者二人が福島を訪れカメラで捉えた被災地の姿、黒石あみは富岡へ赴き先祖代々からの農地を守りぬく人々の姿を、小松拓也はいわきの海をテーマに撮影を行なった。
二人の真摯な眼差しは福島の現状を伝えると共に、忘れさせない後世への記録である。」


●黒石あみ

【作家コメント】

2011年3月11日、東日本大震災。日本にとって忘れられない日になった。
それから早くも 5年が経とうとするが、福島はとても複雑な問題をいくつも抱えている。
その中でも福島で作られた野菜が売れない、といった風評被害。農業を再開したくても、
田畑が放射性部質に汚染されできないといった、農業を取り巻く環境問題は深刻である。

「農業の復興なくしては、福島の復興はない」とある人が言っていたのをきっかけに、
いま農家さんたちはどうしているのだろうか疑問に思い、訪ねることにした。

福島の人々は様々な思いを抱えながらも、立ち止まる事はなかった。むしろ一人一人が
「自分に出来る事はなんだろう」と考え、行動し、復興に向け歩み続けている。

おいしい野菜を皆に食べてほしいと有機農業を頑張っている農家さん。いま住んでいる
地域を再生させて、次の世代につなげていくのが夢と語る農家さん。

「そのエネルギーはどこから来るのだろうか」取材を続けていくうちにわかった。それは「生まれ、育ててくれたこの福島が大好き」という強い思いからくるのだと。

一刻も早く皆が笑顔で暮らせる日が来ますように、そう願いながらシャッターを切った。

私には写し、伝えて行く事しかできないが、これからもずっとこうやって復興していく姿を、
福島の方々と一緒に撮らえていきたい。


【略歴】

1993年7月1日 香川県高松市生まれ。
2012年3月 福岡県立香椎高等学校 卒業
2012年4月 日本大学藝術学部写真学科 入学
2016年現在 日本大学藝術学部写真学科 在学中




●小松拓也

【作家コメント】

東日本大震災から5年が経とうとしている。
甚大な被害を出した各地では本格的に復興への土音が聴こえてきた。
復興計画が軌道に乗り始め、沿岸部ではいよいよ重機やダンプの動きが激‍し‍くなってきた。
瓦礫は運び出され、更地となった土地がかさ上げされたり、新たな防潮堤が築かれたりと、
徐々に未来の姿が形を現しはじめている。
一方で、あるご遺族がこう語った。
「3月11日は特別な日じゃない。毎日が3月11日だ」
時間は流れ続けている。
しかし、大切な人を失った方の時計は、あの日以来止まったままだ。
震災の痕跡か消え去り、蘇ろうとする故郷を見つめた。


【略歴】

1993年 福島県須賀川市生まれ。
小学2年の夏から一眼レフカメラを手にする。
2012年4月 日本大学芸術学部写真学科入学
2016年3月 卒業予定




●写真家 萩原義弘氏から今回の展示に向けたコメント

東日本大震災から5年が経つ。被災地のがれきは岩手・宮城の処理は終了し、福島でも残すところ24万トンとなっている。
道路や施設などのインフラの復旧は進んできているが、被災直後に約47万人いた避難生活者は、いまだ約18万人が避難を余儀なくされている。
特に福島県は原発事故の影響で多くの避難生活者が自宅に戻れないのが現状である。
福島県須賀川市に生まれた小松拓也は、高校2年生の時に、須賀川市の自宅で震災に遭った。 「揺れがひどく立っているのがやっとだった」という。 彼はすぐにカメラを持ち自宅周辺の撮影を始めた。大学に入った後も、幼い時から遊びに行ったいわきの海をテーマとして4年間撮影を続けてきた。
津波で流され建物の土台だけとなった海岸沿いの街は、巨大な防波堤の工事などで街の風景は一変してしまった。彼はその状況を凝視し、丁寧に美しく記録している。
建物がなくなってもそこには人々の生活した証があり、彼の写真からは、人の存在を感じることができる。
震災から3年後の2014年に初めて被災地・富岡を訪れた黒石あみは、震災当時とほとんど変わらない被災した街の様子に強い衝撃を受けた。
その時持っていた線量計は東京よりはるかに高い数値を示していた。
「農業の復興なくして福島の復興はない」と農家の人に言われた黒石は、農業を取り巻く環境問題を中心に撮影を始める。
県外へ移住した人、先祖代々からの農地を守りぬく人たちと対話しながら、復興に向けて頑張る人たちの姿を見つめてきた。
写真からは人々のたくましさや土地に対する強い思いが感じられる。
「記録されたものしか、記憶にとどめられない」とは、民俗学者の宮本常一の言葉である。二人の真摯な視線は、福島の現状を改めて伝えると共に、忘れさせない震災の記録として後世に残るに違いない。
この春に大学を卒業し、新たな一歩を踏み出す若い写真家たちのデビュー作をぜひご覧になってほしい。